1950年代の初め山登りでであったユダヤ教のラビ、ジョシュア・アブラムズは、私が長い間にわたって説き続けたもの、「自分の人生は自分で設計しなさい。誰も設計してはくれませんよ」ということを身をもって私に教えてくれた。
しかも彼の人生は、自己開発には二つの意味があることを教えていた。一つは人としての成長であり、一つは貢献のための能力の開発だった。
一方の人としての成長は、自分の存在の外のものに仕えることによって始まる。私はこれを「何によって憶えられたいか」を問うことによって聞いている。そこから人としての成長が始まる。答えは成長の度合いによって変わっていく。
もう一方の貢献のための能力の向上とは、自らの強みを伸ばし、スキルを加え、仕事に使うことである。
強みを伸ばすということは、弱みを無視してよいということではない。弱みには常に関心を払わなければならない。しかし人が弱みを克服するのは、強みを伸ばすことによってである。安易な道をとってはならない。自らのいい加減さを認めてはならない。
ジョシュア・アブラムズのエピソードは本書を読んでもらうとして、「自分の人生は自分で設計すべし」という当たり前のことをドラッカーが説き続けるということは、それだけ当たり前のことができていない人が多いということなのだと思います。
そう思えば、できていないのは自分だけではないと、少し安心することはできますが、課題が残ったままであることに変わりありません。
「何によって憶えられたいか」というのもとても重い問いですが、ドラッカー自身も80歳になるまで自らに問い続けたということですし、答えはその時々て変わってくるというのですから、「今は、何によって憶えられたいか」と問いを限定的に変えると、少しは気が軽く考えられそうです。
と思っていたら、最後の段落で「自らのいい加減さを認めるな」と叱られてしまいました。ドラッカーは厳しいですね。
2014/2/11