「何によって憶えられたいか」という問いかけ

私が13歳のとき宗教の先生が「何によって憶えられたいかね」と聞いた。誰も答えられなかった。すると、「答えられると思って聞いたわけではない。でも50になっても答えられなければ、人生を無駄に過ごしたことになるよ」と言った。

今日でも私は、いつもこの問い「何によって憶えられたいか」を自らに問いかけている。これは自己刷新を促す問いである。自分自身を若干違う人間として、しかしなりうる人間として見るよう仕向けてくれる問いである。


「人生を無駄に過ごしたことになる」の部分を読むと、いつも自己嫌悪に陥りそうで、逃避したくなります。

本書はドラッカー80歳のときの著作です。80歳になっても自らに問いかけて自己刷新を促していたというのですから、何という向上心でしょう。

どうせ過去からやり直すことはできないのですから、「これからの」人生を無駄にしないよう、50過ぎから問い始めても良いことにしてしまおうと思います。

2014/2/5

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