成果に責任を持つ

成果は集中によってあげられる。
Results are achieved, too, by concentration, not by splintering.

非営利組織にとって重要なことは「それは得意とするものではない。われわれが行ったのでは害をなすだけである。ニーズがあるからというだけで手掛けるわけにはいかない。われわれとしては、われわれの強み、ミッション、価値観をマッチさせなければならない。」と言えることである。
One of the most important things for a non-profit executive to be able to acknowledge is that “there we are not competent; we can only do harm. Need alone does not justify our moving in. We must match our strength, our mission, our concentration, our value.”

非営利組織に働くあらゆる者が何度も何度も繰り返すべき究極の問いは、「自分はいかなる成果について責任をもつべきか、この組織はいかなる成果について責任をもつべきか、自分とこの組織は何を持って憶えられたいか」である。
The ultimate question, which I think people in the non-profit organization should ask again and again and again, both of themselves and of the institution, is: “What should I hold myself accountable for by way of contribution and results? What should this institution hold itself accountable for by way of contribution and results? What should both this institution and I be remembered for?” (p159)


非営利組織には、採算を度外視して大義のために資源を投入しがちだという傾向があるので、何が成果なのかをはっきりさせて、成果の上がる活動を行うべきというのが前のセクションまでの内容でした。

逆の面から見て、成果の出ない活動は行わない、目の前に困っている人がいても助けないこともあるというのがこのセクションで述べられています。

成果を出すための活動に集中しなければ本当の成果を上げることはできないとしているので、それ以外の活動は極力排除する、廃棄するということになります。

目の前で困っている人を見捨てるのかと冷たいことを言っているようですが、「われわれの組織では対処できないが、別の組織なら対処できますよ」と紹介できるようになっていると罪悪感は軽減できそうです。

最後に述べられている究極の問いは、非営利組織以外で働く人にも有効な問いだと思います。企業においても一人ひとりが短期的な成果、長期的な成果に関わる活動をしているはずですから、同じように問うことで、組織と自らの存在意義を再確認できるのではないでしょうか。

2014/1/10

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