大義と経済性

大義とは絶対のものである。大義においては、成果が得られなければ努力を倍にしなければならない。それが大義というものである。
A moral cause is an absolute good. The absence of results indicates only that efforts have to be increased. This is the essence of a moral cause.

しかし経済性にも関わる問題であるとするならば、資源の配分を考えることができる。なすべきことはあまりにも多い。資源は成果が上がるところに投入しなければならない。成果を上げることのできない活動を続けることはできない。
In an economic cause, one asks: Is this the best application of our scarce resources? There is so much work to be done. Let’s put our resources where the results are. We cannot afford to be righteous and continue this project where we seem to be unable to achieve the results we’ve set for ourselves.

ところが、すべては大義のためであり、成果の有無にかかわらず理想を追求すべきであるとすることが、非営利組織に特有の傾向である。特に、非営利組織の理事会においてみられる傾向である。
To believe that whatever we do is a moral cause, and should be pursued whether there are results or not, is a perennial temptation for non-profit executives—and even more for their boards.

しかし、非営利組織といえども、寄付者、顧客、有給・無給のスタッフに対し、資源は成果を上げるところへ投入する責任を負っている。
There are always so many more moral causes to be served than we have resources for that the non-profit institution has a duty—toward its donors, toward its customers, and toward its own staff—to allocate its scarce resources for results rather than to squander them on being righteous.


NPOの活動分野としては、「まちを活性化する」「社会福祉の増進を図る」「子どもの健全育成を図る」というものが多くを占めます。 これらが上記で言う「大義」というものです。

この「大義」だけでは、どのようにしてその大義に迫っていくのかは、人によって違うイメージを持ってしまいます。

また、今行っている活動が大義に向かっていると無条件に信じてしまうと、なかなか成果が得られないのは周りの理解が追いついていないからだなどと、他責になってしまいがちです。

したがって、「大義」を掲げつつも、「今はこのような目標に向かっているので、それぞれの人たちはこんな風に活動してください」という、成果に向けての意識づけと資源配分を行うべきだとしているのです。

2013/12/25

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