1章 予測できないことを起こす
明日をつくるために今日何をすべきか(195)
われわれは未来について二つのことしか知らない。一つは、未来は知りえない。もう一つは、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである。
これらには重大な意味がある。
第一に、今日の行動の基礎に、予測を据えても無駄である。望みうることは、すでに発生したことの未来における影響を見通すことだけである。
第二に、未来は今日とは違うものであって、予測できないものであるがゆえに、逆に、予測できないことを起こすことは可能である。
何かを起こすにはリスクが伴う。しかし、何も変わらないという居心地の良い仮定に安住するよりもリスクは小さい。
未来を築くためになすべきことは、明日何をすべきかを決めることではなく、明日を創るために今日何をなすべきかを決めることである。
「すでに起こった未来」を探せ(196)
社会的、経済的、文化的なできごとと、そのもたらす影響との間にはタイムラグがある。出生率の急増や急減は、20年後に労働人口の大きさに影響をもたらす。変化はすでに起こっている。
すでに起こった未来は必ず機会をもたらす。それは潜在的な機会であり、企業の内部ではなく外部にある。社会、知識、文化、産業、経済構造における変化である。一つのパターンの中における変化ではなく、パターンそのものの断絶である。
すでに発生した変化がもたらす影響がいつ現れるかを正確に知ることはできないが、影響が現れることについては確信がもてる。その影響を予期して資源を投じることには、不確実性とリスクが伴う。だが、そのリスクは限られている。
どこに「未来」を探すか(198)
すでに起こった未来は体系的に見つけることができる。
第一に調べる領域は、人口構造の変化である。人口の変化は最も逆転しにくい。しかもその変化は、早くその影響を現し、予測しやすい。そして、本当にそれは起こる。
第二の領域は、知識の領域である。しかし、自らの企業に関わる知識に限定してはならない。企業は、その卓越性の基盤とすべき知識の領域において、今とは違うものにならなければならないからである。知識の変化がすでに起こっていることを見つけたら、「期待すべき機会は存在するか」を検討しなければならない。
第三の領域は、他の産業、他の国、他の市場である。「われわれの産業、国、市場を変える可能性のあることは起こっていないか」を考えなければならない。
第四の領域は、産業構造である。例えば今日、あらゆる産業界で起こっている変化の一つが材料革命である。(著作は1964年)かつては完全に別のものだった材料の流れの境界が、消滅するか、あいまいになっている。
第五の領域として、企業の内部にもすでに起こった未来を見つけることができる。その一つが、企業内の摩擦である。新しい活動が組織内の変化を引き起こし、すでに受け入れられているものと対立する。知らずして急所に触ってしまう。
新しい現実が見える(201)
ほとんどの人は、すでに見てしまったものしか想像できない。予測というものは、未来についての予測ではなく、最近起こったことについての報告であることが多い。
したがって重大な問いは「予測されているものは、本当はすでに起こっているものなのではないか」である。
さらに、「われわれ自身は、社会と経済、市場と顧客、知識と技術をどう見ているか。それは今も有効か」である。
すでに起こった未来を見つけることには、大きなリスクがある。それは、起こるべきであると信じていることを変化として見てしまうことである。もし内部のみんなが「これこそ、待っていたものである」と言うならば、それは事実の報告ではなく、願望の表明にすぎないおそれがある。
それでもすでに起こった未来を探すという方法が有効なのは、深く染みついた考え方や、仕事の仕方や習慣に疑問を投げかけ、変革のための意思決定を余儀なくさせるからである。
「ビジョン」を実現する(204)
製品やプロセスについていかなるビジョンを実現するかを決意し、そのビジョンの上に今日とは違う事業を築くことは可能である。大きなビジョンである必要はないが、今日の常識とは違うものでなければならない。
ビジョンは起業家的なものであって、富を生む機会や能力についてのものである。したがって、「未来の社会はどのようなものになるべきか」という社会改革家や哲学者の問いからは答えは出てこない。
ビジョンの基礎となるものは「経済、市場、知識におけるいかなる変化が、わが社の望む事業を可能とし、最大の経済的成果を可能にするか」との問いである。
起業家的なビジョンは、一つの狭い領域についてのものであるという事実にこそ、活力の源泉がある。
IBMを築いたトーマス・ワトソンは、技術の進歩については全く理解していなかった。彼の事業はタイムレコーダーという日常的な製品に限らえていたが、データ処理なるビジョンを持っていた。やがてコンピュータの技術が生まれたとき、彼の事業は飛躍の準備ができていた。
天才の創造性はいらない(207)
未来において何かを起こすには、「今日とは違う何が起こることを望むか」を進んで問い、「これこそ、事業の未来として起こるべきことだ。それを起こすために働こう」と言わなければならない。必要なものは、天才の技や創造性ではなく、仕事である。
製品やプロセスは、ビジョンを実現するための道具にすぎない。具体的な製品やプロセスは、想像されることさえないのが普通である。
今日欠けているものは、ビジョンの有効性と実用性を測る基準である。「そのビジョンに基づいて行動を起こすことはできるか。それとも話ができるだけか」を考えなければならない。そして行動しなければならない。
たとえその事業の目的が、事業の成功よりも社会の改革に重きがあったとしても、ビジョンの有効性の基準は、事業としての成果であり、繁栄である。
そして最後に、「そのビジョンを心から信じているか。本当に実現したいか。本当にその仕事をしたいか。本当にその事業を経営したいか」を問う。
明日を築く土台となるビジョンが、もし不確実でもなくリスクを伴うものでないならば、そもそもビジョンとして適切ではない。未来それ自体が不確実でリスクを伴うものであるから、ビジョンに対する全人的な献身と信念がない限り、必要な努力も継続するはずがない。
そしてそこで働く者は「これが本当に望んでいる事業だ」と胸を張って言うことができなければならない。
未来において何かを起こす可能性(211)
今日最強の企業といえども、未来に対する働きかけを行っていなければ苦境に陥る。個性を失い、リーダーシップを失う。残るものは膨大な間接費だけである。
新しいことを起こすというリスクを避けたために、起こったことに驚かされるというはるかに大きなリスクを負うことになる。
マネジメントたる者は、自らの手にゆだねられた人的資源に仕える怠惰な執事にとどまらないためにも、未来において何かを起こす責任を受け入れなければならない。進んでこの責任を引き受けることこそ、単なる優れた企業と偉大な企業とを区別し、サラリーマンと事業家とを峻別するものである。